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神様
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師匠の許可を頂きましたので掲載しておきます。
さての、大きく羽ばたきし前は力をため、足を曲げての。今の世も同じ事じゃがこの国の者、一人一人に今ある己が先へ続くと信じ、隣におる者愛する国造り、今より一度心しめ直し世をしめ直し歩みし時。多くの犠牲を出した災いも暗闇の中でしか光は輝かぬこと心底より肝にめいじられ、決して神々も笑おて今の時、迎えておらぬ事ようわかってくれよ。国の再建とは人の再建、その中で気づく者も気づかぬ者も多くもあろうがただ今一度見つめ直せよと天の声。誰の心にいかように響いた事、響く事かの。多くの立ち木枯れる中にかならずや新しき息吹は目覚める。ただその時にあって、天の神と一体になりこの世の森羅万象と共にあり、さてどの方向に目指しどの様に伸びていくかが新しき神々の試されし時。世に無駄な事は無いと申しても無意味な事はあってこの度のこの国の出来ごとは決して無意味な事ではない。日の本の神々にしても、そこに住まう民族にしても、また母なりしこの星そのものにしても、まず一人、己自身がいかにとらえどう生きていくべきか。いくらあれやこれやと蔭口たたいても、己の人生は己がつくり、己の住む環境、己の国を治める政府、己の住む場所、己の働く会社、己が選ぶ友、己の歩む人生。すべては己に戻りてまた己よりはじまると一人一人が心の底より理解しはじめた時よりはじめて世とは意味を持ち、はじめて人は人にかえる。何を選びて何の道を歩むか、わしは静かに見守っておるよ。 天神
努力と天才の神のお話 ⑨
つづき。
「道真か、、、、。なかなか元気が良いようじゃが、人霊にしてはちとやり過ぎじゃの。天候まで操るとはたいした霊力の持ち主じゃ。どなたか、この人間を詳しく知る神は居らぬか?」
「はっ、確か・・・・・事解男(ことときお)の大神が守護されてた人間でございます。」
「よし。事解男殿を呼んでくれぬか。」
こうして天の神は、三千世界(天界・霊界・人間界・地獄界などのあらゆる界)の先を見通す、将来が書かれた巻き物を持たれる事解男の神を呼び出し、道真様について詳しく伺いました。
努力と天才の神のお話 ⑦
今日はいろいろありましたが、凹まず更新!(笑)
続き。
亡くなられた年の夏の夜更けに近い時間・・・・・・・道真様の師のお一人と言われた延暦寺の法性坊尊意僧正が瞑想している最中に、「トントン・・・・トン・・・・・・」と戸を叩く音が・・・・・・・・・・「・・・・ん?こんな時間に誰だろう・・・・・?」そっと座主が戸を開いてみるとそこにはうつむき佇む道真様のお姿がっ!!!
「こ、これは道真公・・・・・どうしてそのような所に。さては浮かばれはぐれましたかっ。あなた様は確かに今年の2月に亡くなられたはず、、、、どうしてここにいらっしゃるのでしょう・・・・・・・当の昔に供養も終わらせましたぞ。」
努力と天才の神のお話 ⑥
続き。
「なぜ、天はわしを見捨てたのか・・・何故・・・・・。一体、わしのどこが悪かったのだろうか。都に残された妻は辛い目にあってないか、かわいい子供達は元気にしてるのだろうか。・・・・・戻して欲しい、わしを都に戻して欲しい・・・・・・・」
来る日も来る日も・・・・・一歩、一歩と道真様は天拝山に登ります。
ある時は、祈願の為に身を清め、天の神様に自らの無実を訴える文書一巻をしたためた後、その文書を竿の先に付けて差し上げながら7日の間、つま先立ちのまま立ち続けたそうです・・・・・・権力争いに巻き込まれ、冤罪により一家離散となられた謹直で誠実な道真様・・・・・どの様な想いでこの山を登り続けたのでしょう・・・・・
大宰府政庁跡地(現福岡県筑紫野市)よりさらに車で15分ほど走ったところに天拝山があります。今は登山道も整備され、散歩コースとして頂上まで30~40分でしょうか。山道の道すがら、道真様の詠った歌が刻んである石碑がところどころに建っていて、頂上には道真様と祀られる菅原神社がございますの近くをお立ち寄りの方は、一度は登ってみて下さいね
道真様の心は、常に天の神様と民と天皇にありました。決して自分の欲だけで都に戻りたかった訳ではないのです。それを表すものとして、以下は右大臣任命の際に返事をした道真様の言葉を菅家後草より抜粋したものです。
努力と天才の神のお話 ⑤
続き。
『大宰府に左遷』
その理由とは、身分が低かったにも関わらず宇多天皇に可愛がって貰い、その挙句に醍醐天皇を天皇の座から下ろし自分の娘婿に当たる(897年には娘を宇多天皇の子・斉世親王の妻とした。)斉世親王(とこよしんのう)を皇位につけようとした・・・・・これが罪状だそうですが、もちろん道真様にとっては全くと言っていいほど心当たりのない事だったに違いありません。
「東風(こち)吹かば 思い起こせよ 梅の花 主無しとて 春を忘るな」
春になったら主を忘れず、香りを私のもとへ届けてくれ梅の花よ・・・・
この歌は左遷が決まった時に可愛がっていた自宅の梅の木、菅原家の家紋にもなってる梅の花に残した歌です。東の風とは春風のこと、もしくは左遷先の太宰府から見て東にあたる京の都。そこから家紋、菅原家の象徴である梅の花の香りが来るとは、左遷が決まってもその後の良い知らせを期待した想いが込められていたかも知れません。
努力と天才の神のお話 ④
続き。
道真様の栄華が極められた時。
人としての心からの幸せを感じていたのは時はこの時かも知れません。
60代、醍醐天皇に譲位(天皇の代を譲る)された59代宇多天皇でしたが、「上皇」として宇多天皇の支配は続き政治を監督し続けました。
このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに
「この旅は忙しく、手向山の神々様に捧げる幣も用意してありません。せめて、この美しい手向山の紅葉をお受け取りくださいませ・・・・・」
これは百人一首に納められた道真様の一句です。上皇(元宇多天皇)にお供をされ手向山八幡宮に参拝された時の歌です。いつまでも、どんな地位に立たれても神々様に畏敬の念を忘れていない事が解る歌ですね。
努力と天才の神のお話 ③
『阿衡事件(あこうじけん)』
仁和3年(887年)11月21日、藤原基経の推薦により臣籍から皇太子となった宇多天皇は、その即位に際して、基経を関白に任じる詔勅を出した。基経は先例により一旦辞退する。天皇は左大弁橘広相に命じて二度目の詔勅を出した。その詔勅に「宜しく阿衡の任をもって卿の任とせよ」との一文があった。阿衡は中国の殷代の賢臣伊尹が任じられた官であり、この故事を橘広相は引用したのである。これを文章博士藤原佐世が「阿衡は位貴くも、職掌なし」と基経に告げたことにより大問題となる。怒った基経は一切の政務を放棄してしまい、そのため国政が渋滞する事態に陥る。基経は厩の馬を全て市中に放って怒りを表したという。心痛した天皇は基経に丁重に了解を求めるが、確執は解けない。翌仁和4年(888年)4月、天皇は左大臣源融に命じて博士らに阿衡に職掌がないか研究させた。基経の威を恐れた博士らの見解は佐世と同じであった。広相はこれに反駁する。 6月、天皇は先の詔勅を取り消して、広相を罷免した。天皇は無念の思いを日記に記している。基経は執拗になおも広相を遠流に処すことを求める。広相に罪がないことを知る天皇は窮するが、讃岐守菅原道真がこれ以上は藤原氏の為にならない旨の書を基経に送り、基経が怒りをといたことにより、ようやく事件は収まった。この事件により基経は藤原氏の権力の強さを世に知らしめ、天皇が事実上の傀儡であったことを証明したのである。ーwikipediaよりー
・・・初っ端からウィキ丸パクリで申し訳ないです(苦笑)
努力と天才の神のお話 ②
続き。
「これ、道真。お主も少しは愛想良く笑えぬか。いかに才能に溢れていても、世を渡る才だけは無に等しいと見えるの。はははは」
「・・・・これは島田様。私はただ、わたしの信念を貫くのみ。いかに人が私の悪口も申してみても、天に背いたつもりもなければ恥ずかしい事をした覚えはありませぬ。」
島田忠臣(しまだ の ただおみ)様、道真様よりも17歳年上の方で漢詩の詩人として高く評価された道真様の師にあたる方です。特に文章博士の地位にあった道真様の父、菅原是善(すがわらのこれよし)公に特に愛されその願いによって道真様の歌の師匠となられた御方でした。
努力と天才の神のお話 ①
間に合うか解りませんが・・・・今年最後の力を振り絞って、「努力と天才の神、菅原道真公伝」ですmm
心温まるストーリーでと、リクエスト頂いてたんですが、、、、ちょっと難しいかも(苦笑)この神は学問の神として有名ですが、その真の姿を知る方はあまり多くありません。福岡の方で初詣に行かれる方はぜひ一読して参拝して頂きたいです。まぁがんばります(笑)
『努力と天才の神、道真公伝』
皆さんもすでにご存じの、福岡を代表する神社 「太宰府天満宮」。
そこに祀られる神様は、人間より神となられ、幼き頃より天才と謳われた神。天満宮様、菅原道真公とはただの学問の神ではございません。先に菅原氏の歴史を簡単に説明しときますと、遡れば祖先は天穂日命(あめのほひのみこと)神と言われる由緒正しき家柄、元の姓を 『土師(はじ)氏』 と言われます。土師氏とは古より土偶を作ったり、古墳を作る職に従事された家ですね。
神から恐れられた神のお話 <あとがき>
本格的に寒くなってきましたね・・・・・・・
もう12月の中旬ですよ?!あと3週間ぐらいでお正月ですよ!!どうします??・・・・って、もうどうしようもこうしようもないですね・・・・・・早いなぁ~正月はお年玉がボンボン出ていく年齢になったら正直、辛いです。甥っ子は一人なんですけどね、、、、家族で挨拶に来てくれる家族の子供達や、先輩の家に挨拶に行くと、出るわ出るわで・・・・・・「一回、飲み行ったと思えばこんなもの・・・・・・」と考えつつ、何回飲みに行った計算になるのか考えたら怖い(笑)あと、『忘年会』 ですね、、、、なるべく参加はしない方向で行ってるんですが(めちゃくちゃ太るし)どうしても避けれない忘年会もある。・・・・・・外は寒いし、はっきり言ってそんなに楽しくはない季節です(爆)
天津甕星様の祭りも、確か3年前の今の季節だったと思います。
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